きっかけは、身近な子どもの不登校でした
NEXUS BASEを立ち上げようと思ったきっかけは、身近にいる、小さな頃からよく知っている子どもが不登校になったことです。
いじめがあったわけではありません。その子は「学校に行く理由がわからない」「自分でも、なぜ行かなくなったのかわからない」——そんな状態になっていました。親御さんはその姿に悲しみ、どうしたらいいかわからない。そんな現実を、私はすぐそばで肌で感じました。
そのとき強く思ったのは、「学校に行かない」という選択そのものが問題なのではなく、その選択に対して、大人や地域が「違う可能性」として伴走できていないことが問題だ、ということです。それなら、自分たちでその場をつくろう。それが今回のイベントや、この団体の始まりです。
子どもの心の孤独は、どこから来るのか
近年、共働き家庭が増え、核家族化が進んだことで、家庭で過ごす時間の「質」が大きく変わってきていると感じています。
本当の気持ちや、いま起きている現実を、誰と共有していくのか。それを受け止めてくれる相手が身近にいないこと——子どもたちの心の孤独は、そこから生まれているのだと思います。
私自身は田舎育ちで、地域で会う人みんなが、僕の家族のことや、僕という存在を知ってくれていました。地域そのものが居場所だったのです。自分の存在を常に感じることができていた。あの感覚が、地域と大人と子どもをつなぐ今の活動の原点になっています。
「その先を、一緒に歩く大人になる」
NEXUS BASEが掲げているこの言葉には、はっきりした意味があります。
子どものまわりにいる大人は、親だけではありません。地域にいる大人たち全てです。その大人たちがそれぞれを理解し合い、自分のテリトリーの中だけで子どもを守るのではなく、大人同士の垣根を超えて、安心し合える関係性を築くこと。それが「その先を、一緒に歩く」ということだと考えています。
だからこそ、子どもに対して大人が「当たり前だから」「みんなやってることだから」と、理由のないまま型にはめようとすることは、絶対にやりたくない。それだけは決めています。
なぜ「支援」ではなく「イベント」なのか
支援や相談の窓口ではなく、イベントという形を選んだのには理由があります。まずは、知ってもらうこと。
イベントは、どんな立場の子でも、いまどんな状況にいる子でも、関係なく参加することができます。目で見て、体感して、それぞれの目線で何かを持ち帰る。ふだん出会わない、違う子たちの感性にも触れられる。「楽しい」は、いちばん入りやすい入口なのです。
9月13日の「夢のタネまき水合戦」では、子どもたちに、やったことのない、なんの縛りもない、心を解放した顔をしてほしい。大人はそれを引き出す役目です。10月12日の「YUMETANE FES」で子どもが主役にこだわるのも、子どもたちに任せることで、大人では発想できないワクワクがどんどん生まれると思っているからです。
鹿児島に古くから伝わる「郷中(ごじゅう)教育」——地域の子どもが子どもを教え育てる仕組みからも学んでいます。子どもが子どもに伝えることで、教える側は伝える力が磨かれ、教わる側は身近な年齢の子から学ぶことで「自分にもできるかも」と感じられる。そんな循環をつくりたいと思っています。
準備のなかで——うれしかったこと、しんどかったこと
正直に書きます。しんどかったのは、「本当にそんなことできるのか」「やっても自己満足になるんじゃないか」と言われたことです。
それでも、うれしかったことのほうが、ずっと大きい。たった一人の僕の思いに、多くの人が力を貸してくれて、一緒に実現しようとしてくれている——いまのチームの存在が、本当にうれしいのです。
3年後、その先へ
3年後、この活動が全国に広がり、日本の教育の形が少しでも変わっていたら。「不登校」という言葉ではない、新しい表現がこの社会にできていたら。そのとき初めて「やってよかった」と思えるのだと思います。
未来の子どもたちの選択肢を広げること、そしてその選択を応援することが、子どもたちの可能性を質の高いものにし、人生をより豊かにすることにつながる。この活動は、大人にとっても「自分が生きてきたことを子どもに伝える」という点で、人生の自己肯定感が上がるものだと思っています。
生き生きとした人がいる街は、地域としても輝きを放ちます。人が循環する地域社会を実現することで地域はより活性化し、子どもたちが生き生きと生きられる——そんな社会を、この活動を通じて、共に実現していきましょう。